261-010_出雲大神宮

比定社:出雲大神宮:丹波国一宮

式内社コード:261-010
神名帳社名 :出雲神社、イツモノ
社    格:名神大
所 在 地 :621-0002 京都府亀岡市千歳町出雲無番地
Plus Code  :3H5H+J8 亀岡市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

JR亀岡駅の北側5kmほどの御影山の西側山裾に鎮座。
現在地の字名の通り元出雲のひとつとされている(地名は出雲無番地、無番地というのがすごい)。
元出雲というのは出雲族の本拠地であった場所を指していて、現在の亀岡、桜井等がある。
由緒によると
ご祭神である大国主命と三穂津姫命が国譲りの所由に依り祀られたのが出雲大神宮とある。
その後、皇孫に国譲りの後、幽世を統治すべく、島根県の出雲大社に鎮座される事となった。
ここ亀岡は出雲と大和の両勢力の接点だった場所だった。
とあり
確かに南約1.8kmの場所に国分寺跡があり、この地域は両方の勢力にとって大変重要な地域だったことが分かる。
現在の社域はかなり大きく本殿裏の御影山(御神体山)には多数の社と磐座がある。
すべて回るにはかなり歩かなければならない。
駐車場完備

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索1】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

重要文化財や有形登録文化財が多数ある社殿。
本殿の後ろにある多数のお社と磐座。

国指定重要文化財(建造物)

出雲大神宮本殿
時代:室町前期
年代:貞和2
西暦:1346

国指定重要文化財(美術品)

木造男神坐像(伝大国主命)
時代:平安
文化庁解説:
出雲大神宮本殿(重要文化財)内陣の三間に神体として祀られる男神像三躯である。主神像は大国主命と伝称され、最も大きく等身の法量があり、両足部・手先を含んでカヤの一材より丸彫りし、素地彩色を施している。肩幅広く、上体を反らして胸を張り、膝を左右に大きく張って両足を組んで坐る姿は力強さと安定感に満ち、頭部に載く四面頭飾を立て廻した方形の冠が像に独特の威厳を加えている。大づかみな量感の表現など、九世紀末から十世紀初めころの作風を示している。
 当社は山陰道の入口という交通の要衝に鎮座し、弘仁九年(八一八)名神に列せられると、承和十二年(八四五)従五位下を皮切りに延喜十年(九一〇)正四位上まで順次神階位を授けられており、この間に当地の有力神として朝廷に重視されるようになった事情がうかがえる。主神像はおそらくこうした動向と関連して造られたものであろう。
 本指定のいま一躯は主神より一回り小さく、やはりカヤかとみられる材を用いるが、大略前後二材を矧ぎ寄せる構造になる。鼻が付け根から異様に高く隆起し、眉を吊り上げて威嚇するように眼をむく風貌にはすこぶる異色がある。総じて彫り口は荒々しく、表面はノミ痕を残して仕上げ、衣文線や石帯は墨描で表すのみにとどめている。比較すべき作例は求めがたいが、古式な〓頭の形や、造形に一種初発的な迫力が感じられる点などからみれば、主神像からさほど隔たらぬ時期の製作と考えられる。初期神像の異色作として注目されよう。
 附の一体はクスノキとみられる一材から荒彫りに近い彫技により、主神像に倣ったような姿が丸彫りされる。粗放な造形で、製作年代の推定は難しいが、本殿が建立されたという貞和元年(一三四五)をその下限と見ることができよう。

国指定重要文化財(美術品)

木造男神坐像
時代:平安

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮石鳥居
時代:江戸
年代:享保3年(1718)
西暦:1718
文化庁解説:
参道屈曲部北側の低い石段上に建つ、花崗岩製の明神鳥居。直径五七センチメートルの円柱を間口四・八メートルに立て、貫で固め、島木、笠木を渡す。島木と笠木は両者全長を一材から造り出す。氏子の寄進により建立された、良材による堅実な作りの石鳥居。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮上之社本殿
時代:江戸
年代:文化10年(1813)
西暦:1813
文化庁解説:
本殿東方の山中に建つ一間社流造、前室及び向拝付、鉄板葺。三方に縁高欄を廻らし身舎の棟通に脇障子をたて正面に木階を付す。前室の庇部は正面に格子、側面に連子窓を建てた外陣とし、身舎は内陣と内々陣に画す。本殿の独自形式に倣いつつ縮小した境内社。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮祭器庫
時代:明治
年代:明治18年/大正7年移築
西暦:1885
文化庁解説:
参道東方の一段高い場所に南北棟で建ち、土蔵造二階建、寄棟造鉄板葺。西面中央を戸口として土戸両開きとし、下屋を設ける。二階の両妻に小窓を穿ち、庇の持送に彫刻を施す。外壁漆喰塗で腰を海鼠壁、軒に蛇腹を廻らす。素木造主体の境内に趣を添える。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮社務所
時代:昭和前
年代:昭和6年
西暦:1931
文化庁解説:
拝殿前方の参道西方に建つ。東西棟の入母屋造の北側に折曲がりに角屋を張出し、西側にも張出しをもつ桟瓦葺建物で変化ある外観とする。平面は座敷列を雁行配置して高欄付縁を廻らし、舞良戸をたて、小壁の蟇股に菊花紋をあしらう。重厚で気品を備えた社務所。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮神饌所
時代:明治
年代:明治41年
西暦:1908
文化庁解説:
中門西方に南北棟で建ち、桁行一〇メートル、入母屋造鉄板葺。角柱に舟肘木を載せ、東正面中央間の出入口に板唐戸を開き、欄間に吹寄菱格子を入れる。内部は三室で南室は床棚付の座敷、北室は板敷の神饌所で井戸をもつ。神官控所を備えた端正な意匠の神饌所。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮制札
時代:明治
年代:明治6年
西暦:1873
文化庁解説:
石鳥居の手前西側に東西棟で建つ。花崗岩切石積の基壇上に角柱二本を間口〇・九メートルに立てて貫で固める。柱上部の腕木で桁を受け、わずかに反りを持たせた垂木を疎らに配り、切妻造、段葺状の銅板葺とする。境内の近代再興最初期の様相を伝える。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮摂社黒太夫社
時代:昭和前
年代:昭和13年
西暦:1938
文化庁解説:
境内から約一〇〇メートル西方に所在する境外社。南面する一間社流造、鉄板葺で、三方に刎高欄付の縁を廻らせ、背面柱筋に脇障子をたて、庇に浜縁を張る。軸部や組物等の大面取、蟇股や手挟など細部に古典意匠の習熟が看取される。戦前の復古調社殿の好例。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮奏楽舎
時代:明治
年代:明治14年/明治41年移築
西暦:1881
文化庁解説:
中門東方の一段高い石垣上に東西棟で建ち、入母屋造鉄板葺である。内部は床と床脇を備えた一室で、南面と西面に高欄付の切目縁を廻らし、軒は一軒疎垂木。はじめ神饌所として建てられ、現神饌所新築の際に移築された。境内の変遷経過を伝える意匠簡明な建物。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮手水舎
時代:明治
年代:明治18年
西暦:1885
文化庁解説:
参道の東側に社務所と相対して南北棟で建つ。桁行一間梁間一間、長方形平面の吹放し形式で、起り付きの切妻造桟瓦葺。礎盤上に四本柱を内転びに立て、西面に虹梁形内法貫を渡し、他の三面は貫で固め、柱天に舟肘木を組む。境内入口の景観に寄与する手水舎。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮拝殿
時代:明治
年代:明治11年
西暦:1878
文化庁解説:
中門前方に建つ南北棟、桁行三間梁間三間、入母屋造檜皮葺、四方吹放し形式の拝殿。亀腹上に円柱を立て、周囲に刎高欄付の縁を廻らし、内部は全面小組格天井張、軒は二軒繁垂木として軽やかな軒反りをもたせる。境内中枢を占め、格式と優美さを備えた拝殿。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮本殿廻廊及び透塀
時代:昭和前
年代:廻廊 昭和10年、透塀 明治26年
西暦:1935
文化庁解説:
中門の東西にのびる廻廊と、その両端から北に廻る透塀。廻廊は桁行四間で外側は角柱に長押を廻らし、各間に連子窓を入れる。内側は吹放しで梁行に虹梁を架ける。透塀も廻廊と同様の立面として調和を図る。本殿の神域を囲繞する落着いた佇まいの廻廊と塀。

国指定登録有形文化財(建造物)

出雲大神宮本殿中門及び祝詞舎
時代:昭和前
年代:昭和9年
西暦:1934
文化庁解説:
拝殿背後に建つ中門の背面に祝詞舎を接続し、拝殿、祝詞舎後方の本殿とともに主要社殿の中軸をなす。中門は四脚門、祝詞舎は中門の背面柱を共有した桁行二間の吹放し形式で、本殿側に軒唐破風を付け、総檜皮葺。和様を基調とし復古的細部を用いた礼拝施設。

写真

出雲大神宮を正面より望む。この鳥居は千年宮鳥居と呼ばれている。駐車場はこの右手と1段上にもある。もっと大きな駐車場が西側にあり駐車には困らない。
出雲大神宮を正面より望む。この鳥居は千年宮鳥居と呼ばれている。駐車場はこの右手と1段上にもある。もっと大きな駐車場が西側にあり駐車には困らない。
千年宮鳥居の横にある社標。太くてでかい。
千年宮鳥居の横にある社標。太くてでかい。
千年宮鳥居をくぐると参道を進む。非常にきれいにしてあり本当に気持ちよく参拝できる。
千年宮鳥居をくぐると参道を進む。非常にきれいにしてあり本当に気持ちよく参拝できる。
ここにも社標と看板。丹波国一之宮、名神大社、元出雲、社殿創建和銅二年(西暦709年)とある。
ここにも社標と看板。丹波国一之宮、名神大社、元出雲、社殿創建和銅二年(西暦709年)とある。
一之鳥居前の社標。国幣中社とある。
一之鳥居前の社標。国幣中社とある。
神社謹製の由緒書。読めない…。
神社謹製の由緒書。読めない…。
境内案内図。時間をとって隅々まで歩いてみたい。山側は歩きやすい靴でないとトレッキングのような感じ。
境内案内図。時間をとって隅々まで歩いてみたい。山側は歩きやすい靴でないとトレッキングのような感じ。
一之鳥居。国指定登録有形文化財となっている。
一之鳥居。国指定登録有形文化財となっている。
一之鳥居をくぐると右手に手水舎。これも国指定登録有形文化財となっている。井戸併設タイプ。
一之鳥居をくぐると右手に手水舎。これも国指定登録有形文化財となっている。井戸併設タイプ。
一之鳥居をくぐると左手に社務所があり参拝の人でいっぱい。
一之鳥居をくぐると左手に社務所があり参拝の人でいっぱい。
社務所の向こう側の西へ伸びる参道。クルマのおはらいはこちらで行う。西側にも鳥居がある。
社務所の向こう側の西へ伸びる参道。クルマのおはらいはこちらで行う。西側にも鳥居がある。
正面に拝殿を望む。右手に夫婦岩、真名井のいずみ、大国恵比寿舎が見える。
正面に拝殿を望む。右手に夫婦岩、真名井のいずみ、大国恵比寿舎が見える。
一段上がって拝殿を望む。渋くて端正な印象、規模は大きい。
一段上がって拝殿を望む。渋くて端正な印象、規模は大きい。
拝殿越しに本殿を望む。よく手入れされていてピカピカで気持ち良い。拝殿も国指定登録有形文化財だ。
拝殿越しに本殿を望む。よく手入れされていてピカピカで気持ち良い。拝殿も国指定登録有形文化財だ。
拝殿を右から望む。屋根の端っこの反り具合が絶妙。
拝殿を右から望む。屋根の端っこの反り具合が絶妙。
拝殿を左から望む。背後の山が御影山で磐座が点在する。
拝殿を左から望む。背後の山が御影山で磐座が点在する。
本殿を望む。本殿は国指定重要文化財で室町前期の建物で足利尊氏による修造だが残念ながら近くへは行けない。
本殿を望む。本殿は国指定重要文化財で室町前期の建物で足利尊氏による修造だが残念ながら近くへは行けない。
本殿を横から望む。本殿前には狛犬が鎮座、朱色が鮮やか。
本殿を横から望む。本殿前には狛犬が鎮座、朱色が鮮やか。
本殿を横から望む。非常に立派で大きい本殿。屋根には菊のご神紋。
本殿を横から望む。非常に立派で大きい本殿。屋根には菊のご神紋。
拝殿の前を右手に行くと鎮守の杜の入口。この先に多数のお社と磐座がある。右回りで回った。
拝殿の前を右手に行くと鎮守の杜の入口。この先に多数のお社と磐座がある。右回りで回った。
杜の中をこんな感じの道が続く。軽いハイキングのような感じ。
杜の中をこんな感じの道が続く。軽いトレッキングのような感じ。
この先に御神体山である御蔭山に国常立尊が磐座に鎮座とある。社殿ができる前のアニミズムの世界。社務所で受付をしないとこれから先は入れないので注意すること。
この先に御神体山である御蔭山に国常立尊が磐座に鎮座とある。社殿ができる前のアニミズムの世界。社務所で受付をしないとこれから先は入れないので注意すること。
左手に行くと上の社(かみのやしろ)。素戔嗚尊を祀る。
左手に行くと上の社(かみのやしろ)。素戔嗚尊を祀る。
みかげの滝の入口。緑と朱色との対比が美しい。
みかげの滝の入口。緑と朱色との対比が美しい。
稲荷社。この奥にみかげの滝がある。
稲荷社。この奥にみかげの滝がある。
みかげの滝。素晴らしい環境だ。
みかげの滝。素晴らしい環境だ。
本殿の真後ろにある古墳。詳細は不明。
本殿の真後ろにある古墳。詳細は不明。
本殿の後ろにある磐座。御神体とある。
本殿の後ろにある磐座。御神体とある。
拝殿より一之鳥居を望む。
拝殿より一之鳥居を望む。
訪れた日はなにかの神事が行われていた。
訪れた日はなにかの神事が行われていた。
千年宮鳥居の横の桜の木の根本はきれいに清掃されていて丸くなっている。
千年宮鳥居の横の桜の木の根本はきれいに清掃されていて丸くなっている。
千年宮鳥居より正面(南)を望む。
千年宮鳥居より正面(南)を望む。

感想

神社謹製の由緒書によると

出雲大神宮由緒
当宮には大国主命とその后神三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主宰神と称て祀り他に天津彦根命天夷鳥命を祀る。
殊に三穂津姫命は、天祖高産霊尊の御女で大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となり給う。天地結びの神即ち縁結びの由緒亦ここに発するもので俗称元出雲の所以である。
日本建国は国譲りの神事に拠るところであるが丹波の国は恰も出雲大和兩勢力の接点にあり此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮である
古来大平和の御神意に依り国と国人と人総ての結びの大神を祀るとして上下の尊崇極めて篤かった。崇神天皇再興の後、元明天皇和銅二年に始めて、社殿を造営現社殿は鎌倉時代の建立にして(重要文化財)それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し古来より今尚禁足の地である又御陰山は元々国常立尊の鎮まり給ひし聖地と傳えられている。
(式内)名神大社、丹波国総社一之宮
(御階)正一位
(社名)正しくは出雲大神宮、千年宮、出雲神社
(攝末社)古は三十六ヶ所あったが兵火に失われ現在は上の社、黒太夫社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社あり
一、神宮寺 明治4年出雲極楽寺に借地移転す、現在の十一面観音菩薩像は重要文化財
一、例大祭 十月二十一日
一、私大祭 四月十八日 当日無形文化財風流花踊奉納
一、古墳 横穴式 五世紀~六世紀前 前方後円墳 車塚古墳は当宮の口碑あり 推定は成務天皇代
一、古代の神域は愛宕山を含み飛地境内が所々にあり 京都大原野神社は飛地領なり

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
ご祭神は、大国主尊・三穗津姫尊・少那姫尊。
和銅2年(709年)社殿創設。
弘仁9年(818年)名神に預かる(日本紀略)。
承和12年(845年)従五位下(続日本後紀)。
貞観14年(872年)従四位上。
元慶4年(880年)正四位下(三代実録)。
延喜10年(910年)正四位上(日本紀略)。
万寿2年(1025年)祈雨。
正応5年(1292年)正一位(兼実日記)。
暦応4年(1341年)足利尊氏に命じて守護代の濫妨を停止。
貞和元年(1345年)足利尊氏造営。
文安2年(1445年)造営。
弘治3年(1557年)造営。
天正12年(1584年)造営。
明治4年(1871年)国幣中社。

国譲りの神話の出雲は、現在の日本のどの地域だったのだろうと想像を巡らすと楽しい。
管理人なりに解釈をすると次のような感じだろうか(個人的見解です)。
・亀岡の地は出雲族と大和朝廷の勢力の接点となる地域だった。
・国譲りの交渉(戦い?)が決着し、亀岡の出雲大神宮に大国主命と三穂津姫命が祀られた。
・その後、大国主命は幽世を統治すべく島根県の出雲大社(いずもおおやしろ)に祀られた。

大国主命が活躍していた地がこの亀岡だったということだ。
こうしたことが「元出雲」と呼ばれる所以である。
朝廷もこうしたことを重視し式内社としたのではないだろうか(個人的見解です)。

社殿造営は元明天皇の和銅二年(709年)。
本殿は国指定重要文化財で室町前期の建物、足利尊氏による修造だが残念ながら近くで見れない。
本殿の奥には、多数のお社と磐座がある、御影山の一番上には社務所に許可をもらって参拝する磐座が鎮座する。
きれいな社域をゆったり時間をかけて回りたい。

また、盛んにイベント等を行っていることも特徴だ。
定期的に開催されているもの、不定期に開催されているものがあり参加してみるのも良いだろう。

注意点

社務所で受付しないと入れない領域があるので勝手に入らないように注意。
社域は広く未舗装なのでトレッキングシューズのような歩きやすい靴が良い。

訪問ノート

訪問日 :2017/12/9、2018/9/7、2021/8/22
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100、RX100M3、α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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