比定社:櫛石窓神社
式内社コード:263-010
神名帳社名 :櫛石窓神社 二座、クシイハマトノ
社 格:並名神大
所 在 地 :669-2603 兵庫県篠山市福井1170
Plus Code :486H+VQ 篠山市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
福井の集落の中の平地に鎮座。
国道173号線に面しており非常に分かりやすい場所にある。
一見、平地のようだが東側の神山がご神体で磐座があり禁足地、拝殿や本殿もその方向を向いている。
神社裏手に地域の集会所が併設されている。
クルマは鳥居前に2-3台駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
一の鳥居から進むにつれ空気感が変わる社域。
拝殿、本殿、磐座(見えないが)の関係性。
レトロな社務所。
重要文化財(美術工芸品)
木造櫛岩窓命坐像
時代:平安
年代:
西暦:
重要文化財(美術工芸品)
木造豊岩窓命坐像
時代:平安
年代:
西暦:
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
兵庫県篠山市福井
櫛石窓神社略記
当櫛石窓神社は、天照大神の天の岩戸隠れの折、御門を守った櫛石窓命・豊石窓命の二神を祀る名社で、皇居神祇官西院に御門神の根源の本社として御鎮祭の、神徳広大にして延喜式神名帳に見える名神大社である。
神山の磐座は、神代における櫛石窓命・豊石窓命の二神神降の磐山で霊巌あらたかな禁足の神跡であり、この二神の御神像は国の重要文化財となっている。
御例祭は、四月二十九日におこなわれ、太鼓神輿の巡行をはじめ巫女舞、餅まきなどで賑わっている。
三月十一日には、境内に祀られている火雷大明神の祭があり、昔から雷御守護、災難御守護の御信仰は有名で、多くのお参りがある。
当社を「丹波の国大芋の大宮」ともいう。
櫛石窓神社
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、櫛石窓命、豊石窓命・大宮比売命。
大同元年(806年)神封五戸。
元慶年中(877~885年)陽成天皇第五皇子の行啓(修正)。
永禄10年(1567年)再建。
天正年間(1573~1592年)明智光秀が波多野秀治を征討した際焼失。
寛文3年(1663年)本殿造営(追加)。
安永4年(1775年)拝殿造営(追加)。
明治6年(1873年)村社。
明治37年(1904年)県社。
境内に霊巌(ミタマイハ)あり高さ数丈魏然として秀づ又神井あり福井と云い御供の水に用いる。
社殿後方には「宮山」と呼ばれる高さ約30メートルの丘がある。宮山の頂上付近には「霊岩(みたまいわ)」という磐座が残り、古代祭祀の名残を現代に伝えている。
宮中の神祇官西院において「御門巫祭神八座」として、櫛石窓神・豊石窓神が四面の門に各一座ずつ祀られている。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:櫛石窓命(クシイハマドノミコト)
配祀神:豊石窓命(トヨイハマドノミコト)・大宮比売命(オホミヤヒメノミコト)
由緒:
神社のある所は古の神田庄大芋郷にして、もと48箇村の總社たり故に、大宮と稱す。
延喜式神名帳にも亦名神大と記せられたる所以なり。境内に霊厳あり高さ數丈巍然として秀づ又神井あり福井と云ひ御供の水に用ふもと社領富饒祠殿壯麗なりしが應仁以降、細川山名両家の戰亂の爲め、屡其災を被りたり。
天正中、明智光秀の波多野秀治を征討するや、全莊其焚燒する所と爲りさしも輪換を極めたりし堂宇と累代の寶什とを併せて烏有に歸せり。
次で社領没収せられ、僅に供田二反の存するあるのみ然れども、境域尚九町歩ありしと云ふ。
元来神田庄と稱するは、此神社の御供たりしによる故を以て、往昔より霊淑の境として不淨物を埋葬することを厳禁し、必ず他村に持運びたり。之を稱して大芋の持越しと云ふ。
享保10年(1725)、市野々村民同村内に墳墓を設くるに至り、爲に物議を生じ遂に藩主に訴へ、前例に復し維新迄厳禁せられたり。
明治6年(1873)、村社に列せられる。同37年(1904)、縣社に昇格す。
とある。
宮中にも祀られる神(「御門巫祭神八座」)である、櫛石窓命・豊石窓命の鎮座地となっているようだ(『神名帳考証』)。
由緒書に出てくる地名の大芋(おくも)は、時代により大雲と書く場合もあるようだ。
このあたり、多紀郡では早くから開けた地域だったと思われる。
また、当地は東は亀岡、北は山陰道、西は篠山・氷上、南は篠山街道さらに摂津と繋がっている交通の要衝でもある。
かつては、街道筋として、名神大社として、大いににぎわっただろうと想像できる。
鳥居前に駐車スペースがある。
小さな橋を渡り一の鳥居をくぐると空気が分かるのが分かる。
社域は、国道のすぐ横だが、一歩入ると全く違う世界観が広がるのが素晴らしい。
神様がいらっしゃる、と感じることのできる素晴らしい社域だと思う。
木々はそれほど大きくはないが濃い社叢を形作っている。
二の鳥居をくぐると拝殿が木々の間に見えてくる。
拝殿の先50メートルほどに本殿があるが近づくことができない。
本殿の南側には小高い丘があり、そこには磐座があり禁足地となっている。
古来からの磐座信仰の形をよく残した神社。
神職は常駐ではないが、社域はよく手入れされていて厳かな雰囲気がある。
注意点
神社の裏にある神山は禁足地なので立ち入らないように。
鳥居前のスペースに駐車が可能、2-3台分くらいのスペース。
トイレは神社裏手の集会所のトイレが利用させていただける。
訪問ノート
訪問日 :2017/9/16、2020/3/17、2021/5/30
交通手段:クルマで訪問
カメラ :DMC-TZ60、RX100、α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、RX100
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。