317-040_加都良神社

比定社:加都良神社

式内社コード:317-040
神名帳社名 :加都良乃命神社
社    格:小
所 在 地 :679-1112 兵庫県多可郡多可町中区間子631
Plus Code  :3W2M+V7 多可町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「かつらじんじゃ」と読む、地名の多可町中区間子は「たかちょうなかくまこう」と読む。
国道427号線の中央公民館前交差点を東に入り300メートル、突き当りを兵庫県道86号多可柏原線に入り北上400メートルほど。
ここに「式内 加都良神社」とある社標が建っている、民家のブロック塀の影になっているので分かりにくい。
ここを東に入り集落の中を道なりに行くと恵美須神社の前、ここからさらに太い道路を横切り450メートルほど行くと突き当たりにある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

思出川と杉原川の両方の舟運が使えたであろう立地。

写真

加都良神社を正面より望む。集落の一番奥にある、周囲の道は狭小なので注意されたし。鳥居をくぐると未舗装の参道が続き思出川に橋が架かっている。
加都良神社を正面より望む。集落の一番奥にある、周囲の道は狭小なので注意されたし。鳥居をくぐると未舗装の参道が続き思出川に橋が架かっている。
歴史街道謹製の加都良神社の説明書き。第四七代淳仁天皇の天平(天平)元年(七二九年)大和の国袖振山より勧請したとある。
歴史街道謹製の加都良神社の説明書き。第四七代淳仁天皇の天平(天平)元年(七二九
年)大和の国袖振山より勧請したとある。
未舗装の参道を行くと思出川に突き当たる。橋を渡ると山門がある。
未舗装の参道を行くと思出川に突き当たる。橋を渡ると山門がある。
橋を渡ると山門前の広場。割拝殿ではないようだ。
橋を渡ると山門前の広場。割拝殿ではないようだ。
橋より背後の山を望む。山裾に鎮座していることが分かる。
橋より背後の山を望む。山裾に鎮座していることが分かる。
社殿を左側より望む。
社殿を左側より望む。
山門をくぐると拝殿がある。榊が新しく手入れが行き届いている。
山門をくぐると拝殿がある。榊が新しく手入れが行き届いている。
拝殿内部を望む。扁額には加都良神社とある。
拝殿内部を望む。扁額には加都良神社とある。
拝殿内部の右側を望む。奉納額が掲げられている。
拝殿内部の右側を望む。奉納額が掲げられている。
拝殿内部の左側を望む。拝殿の造りは非常にシンプル。
拝殿内部の左側を望む。拝殿の造りは非常にシンプル。
拝殿を右側より望む。社域にはたくさんの建物がある。
拝殿を右側より望む。社域にはたくさんの建物がある。
拝殿後方には幣殿、その後ろに本殿。本殿は棟持柱のあるタイプで珍しい。記録によると寛延3年(1750年)造営、明治22年(1889年)本殿拝殿改修・幣殿新築となっていて状態は非常に良いように見える。
拝殿後方には幣殿、その後ろに本殿。本殿は棟持柱のあるタイプで珍しい。記録によると寛延3年(1750年)造営、明治22年(1889年)本殿拝殿改修・幣殿新築となっていて状態は非常に良いように見える。
本殿を左側より望む。本殿屋根には五三の桐のご神紋がある。
本殿を左側より望む。本殿屋根には五三の桐のご神紋がある。
拝殿の左脇には摂社末社が並んでいる。
拝殿の左脇には摂社末社が並んでいる。
摂社末社の一番右側は「大國主神社」「式内 天目一神社」とある。
摂社末社の一番右側は「大國主神社」「式内 天目一神社」とある。
山門の前より参道の方向を望む。橋の向こうは集落になっていて見えないがこの思出川と向こうの杉原川の間の三角州となっている。
山門の前より参道の方向を望む。橋の向こうは集落になっていて見えないがこの思出川と向こうの杉原川の間の三角州となっている。

感想


歴史街道謹製の加都良神社によると

加都良神社(かつらじんじゃ)

●ご祭神 加都良之命(かつらのみこと) 高皇産霊命(たかみむすびのみこと)
     天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)

                                 歴史街道

 加都良神社は、「延喜式神名帳」(九〇五年)に「加都良乃
命神社」と記載されており、「勝手大明神」とも呼ばれ、「式
内社」として有名です。第四七代淳仁天皇の天平(天平)元年(七二九
年)大和の国袖振山より勧請したと伝えられています。
 拝殿に豪華な大祭の絵額(天保十三年・一八四三年)が二枚
掲げられています。大笠下には、五~六位の高貴な神官が描か
れており、また、湯釜なども描かれて、古式豊かな湯釜神事が
荘厳に営まれたことをもの語っています。
 本殿は、珍しい神明造りで県下でも数少ない神明造本殿とし
て希少価値のあるものです。

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、加都良命・高皇産靈命・天忍穗耳命。
 (旧祭神)大己貴命

天平元年(729年)大和国金峰山の勝手明神を勧請。
延暦年中(782~806年)光仁帝の震翰および勅額を拝受。
慶長元年(1596年)9月池田輝政馬場先を寄進。
寛永7年(1630年)造営。
寛文元年(1661年)造営。
寛延3年(1750年)造営。
天保13年(1842年)4月11日1200年大祭行事を執行。
明治22年(1889年)本殿拝殿改修、幣殿新築(追加)。

江戸時代までは「蔓明神」「勝手明神」と呼ばれていた。

江戸時代に勝手明神といわれる天受祝尊(あめのうけのりの)を勧請した。
修験者が大和へ修行に行き、勝手明神を当社へ勧請し、合祀したものであろう。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:加都良乃命(カツラノミコト)
配祀神:高皇産靈神(タカミムスビノカミ)・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)

由 緒:
 天平元年(729)の創立と伝わる。延喜式の制小社に列す。
 慶長元年(1596)、祭事所役を定め、池田輝政は、鳥居にいたる二間幅の馬場先を寄進。
 江戸時代、勝手明神と崇める。
 寛永7年(1630)、寛文元年(1661)、寛延3年(1750)、造営修理を得て、明治22年(1889)、本殿拝殿改修。幣殿新築。

とある。


加都良神社のある当地は、眼の前を流れる思出川と杉原川の合流地点あたりの東岸に当たる場所。
眼の前は現在は住宅があって分からないが思出川と杉原川の間の三角州となっている。
思出川と杉原川の両方の舟運を押さえるには好都合な場所、さらに北からの街道筋についても同様のことが言える。
杉原川の上流には「317-010_荒田神社(多可郡多可町)」があり直線で6km弱の距離となっている。
現在からは想像できないが交通の要衝だったと想像できる。

周囲には、森本城・間子中世墓群等の遺跡が残る(兵庫県考古博物館資料による)。

加都良神社のご祭神は、加都良之命・高皇産霊命・天忍穂耳命。
加都良之命の詳細は不明だ。
加都良神社は、中区間子の当神社と中区岸上・中区天田にも同名の神社がある。
これは中区間子の御旅所として中区岸上があったということだが正保4年(1647年)に席論から中区天田が創立されたとのお話が伝わっている。

加都良神社へのアプローチはそれほど難しくない。
国道427号線の中央公民館前交差点を東に入り杉原川を超え300メートル突き当りを兵庫県道86号多可柏原線に入り北上400メートルほど。
ここに「式内 加都良神社」とある社標が建っている、民家のブロック塀の影になっているので分かりにくい。
ここを東に入り集落の中を道なりに行くと恵美須神社の前、ここからさらに太い道路を横切り450メートルほど行くと突き当たりにある。
集落の中は道が狭小なので注意されたし。
また駐車場は無いので近隣に迷惑にならない場所に駐車する必要がある。

集落の中を進んでいくと突き当りになり少し曲がったところに鳥居がある。
鳥居をくぐると人家の間の未舗装の参道を進むと思出川に架かる橋の向こうに社殿が見えてくる。
社域は西面しており山裾にあることが一目瞭然だ。
橋を渡ると社殿前の広場、小さな山門を入ると腰板のみの拝殿がある。
拝殿後方は幣殿となっており本殿へと続く。
本殿は棟持柱のある珍しい形式となっている。
記録によると寛延3年(1750年)造営、明治22年(1889年)本殿拝殿改修、幣殿新築とある。
社殿の状態は良いように見える。
全体的によく手入れされていて地域に大事にされている様子が見て取れる。

思出川と杉原川の両方の舟運が司ったであろう神社。

注意点

集落の中の道は狭小なので注意。
駐車場が無いので周囲に迷惑にならないように駐車されたし。

訪問ノート

訪問日 :2018/6/30
交通手段:クルマで訪問
カメラ :DMC-TZ60