比定社:迩志神社
式内社コード:313-070
神名帳社名 :迩志神社、ニシノ
社 格:小
所 在 地 :671-4216 兵庫県宍粟市波賀町皆木196
Plus Code :5GHP+7V 宍粟市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。
アプローチ&ロケーション
「にしじんじゃ」と読む、地名の波賀町皆木は「はがちょうみなぎ」と読む。
皆木集落の北西の端の引原川に面した山裾に鎮座。
伊和神社からは北へ直線で11km、29号線経由で13kmほどの場所になる。
国道29号線の波賀町中心部「波賀市民局前」交差点より北へ2kmほど。
国道29号線沿いに東側に鳥居があるのですぐに分かる。
北側に駐車スペースがある。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
313-010_伊和神社、313-030_庭田神社、313-050_與位神社、313-070_迩志神社と4社の創建や鎮座が成務天皇14年で同じであること。
写真
感想
氏子中謹製の由緒書によると
口碑ニ西谷迩志明神ハ
若螺姫ト称シテ一ノ宮大
明神ノ御妃神ニ座セリ
御社頭ナル宮淵ノ水底ハ
道路ヲ隔テヽ本社ノ下ニ入
リ其深サ知ル者ナシ土人ハ
明神ノ御使ノ龍蛇住メリト
テ甚ク怖ルヽナリ 又古ヨリ
姙婦ノ安産ヲ祈レバ霊験
ヲ蒙ルトテ参詣スル者常
ニ多シ 一説ニ当所垣ヶ原
ト云フ所ニ平ナル大キナ
岩アリ此岩ノ上ヘ天下リ被
爲遊シヲ氏神ト奉祀セリ
昭和五十四年七月吉日
氏子中
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、伊弉諾命・伊弉册命・須佐之男命。
成務天皇14甲申年(144年)11月14日勧請。
宝永8年(1711年)再興。
明和2年(1765年)正親町大納言実連白幣奉納。
明治7年(1874年)村社。
江戸時代までは「若螺明神」と呼ばれていた。
社頭の宮淵の水底は道路(若桜街道、現国道29号線)を潜つて本社の下に入り、其の深さ知る者なしと云う。明神の御使の龍蛇が住むと信じられている。
一説に、近辺の垣ヶ原(皆木中道380)という所に、平らな大きな岩があり、その岩の上に天下ったと伝わる。天下り石と呼ばれて現存する。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:伊弉諾命(イザナギノミコト)
配祀神:伊弉册命(イザナミノミコト)・須佐男命(スサノオノミコト)
祭記事:
2月 祈年祭
7月 夏祭
10月 秋季例大祭
由 緒:
西谷迩志明神は若螺姫と称して一ノ宮大明神の御妃神ニ座なり
御社頭なる宮淵の水底は道路を隔てて本社の下に入り其深さ知る者なし土人は明神の御使の龍蛇住めりとて甚く怖るるなり
又古より妊婦の安産を祈れば霊験を蒙るとて参詣する者常に多し
一説に当所垣ヶ原と云う所に平なる大きな岩あり此岩の上ヘ天下り被爲遊しを氏神と奉祀せり
とある。
迩志神社のある当地は、揖保川に合流する引原川沿い、因幡街道に面した場所。
北へ行けば戸倉峠を越えて鳥取、東は高野峠を越え生野や朝来、西は千種を経て志引峠を越えれば岡山へ通じる。
周囲を1000m級の険しい山々に囲まれた谷筋にあたる、そこに街道筋が交差し引原川の水運のある交通の要衝であると言える。
古くより開けた場所のようで周囲には、高所古墳・斉谷寺跡・皆木神田遺跡がある(兵庫県考古博物館資料による)。
迩志神社ご祭神は、伊弉諾命・伊弉册命・須佐男命。
現在のご祭神は上記の通りだが、場所から言うと大国主命の影響が大きいのではないかと思う。
というのは、313-010_伊和神社・313-030_庭田神社・313-050_與位神社・そして当社313-070_迩志神社の創建や鎮座や勧請が成務天皇甲申年(成務天皇14年、西暦144年)で共通なのだ。
成務天皇甲申年(成務天皇14年、西暦144年)になにがあったのだろうか?
また社伝には「一ノ宮大明神ノ御妃神ニ座」とあるから、当初は伊和大神の妃神ニ座を祀りその後変化したのかもしれない。
さらに言えば一ノ宮という分類もいつできたかよく分からないが延喜式以前ではないように思われる(個人的見解です)。
もちろんここで言う一ノ宮とは313-010_伊和神社のことである。
ちなみに迩志神社は、伊和神社から直線で北へ11km、29号線経由で13kmほどの場所にある。
個人的な考えだが大国主命の勢力地域の北の関所という役割だったのかもしれない(個人的見解です)。
迩志神社へのアプローチは非常に簡単で分かりやすい。
伊和神社からは北へ直線で11km、29号線経由で13kmほどの場所になる。
国道29号線の波賀町中心部「波賀市民局前」交差点より北へ2kmほど。
皆木集落の北西の端の引原川に面した西向きの山裾に鎮座しているが、周りに目標がなく国道29号線を北へ走っていると突然右側(東)に両部鳥居が見えるので慌てる。
神社北側に駐車スペースがある。
ちなみに現在の国道29号線は、兵庫県側を因幡街道(いなばかいどう)、鳥取県側を若桜街道(わかさかいどう)と呼ばれる。
現在の社域は国道29号線に鳥居が面していて社域は西を向いている。
かつては引原川まで社域であったと思われ因幡街道が社域を横切っていたのではないだろうか。
引原川の水運を使用して参拝する人も多かったのかもしれない。
両部鳥居をくぐるとすぐに石段を登り拝殿前の広場。
広場には土俵、その右手には参集殿のような建物がある。
正面の拝殿は石積みの上にありシンプルな建物だがよく手が入っている。
後方の本殿は、宝永8年(1711年)再興、とあるが非常に状態は良いのでそれ以降にも手が入っていると思われる。
訪ねた当日はあいにくの雨だったが、社域はきれいに手入れされており大事にされていている様子が感じ取れた。
大国主命の勢力圏の北の要となる神社。
注意点
前を走る国道29号線は交通量が多いので注意が必要。
訪問ノート
訪問日 :2019/6/15
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。