048-030_敏馬神社

比定社:敏馬神社

式内社コード:048-030
神名帳社名:汶売神社、ミヌメノ
社格:小
所在地:657-0845 兵庫県神戸市灘区岩屋中町4丁目1-8
plus code:P639+9F 神戸市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

みぬめと読む。
阪神岩屋駅南側の国道2号線沿い北側の小高い丘に鎮座、大正時代までは海沿いであったらしい。
かつては海に突き出た岬だったようで港として栄えていたということだ。
昭和のはじめに阪神電車が地下化された際の残土で敏馬浜が埋め立てされた。
社殿は戦後に再建されたものだが、阪神大震災で損壊したが解体復元したもの。
鳥居をくぐってすぐは月極の駐車場となっており都会の神社らしい。
参拝用の駐車スペースが2枠ある(赤色コーン)。

ハイライト

非常にきれいな拝殿。
よく見ると灯籠などは江戸時代のものだが大きくて立派できれいに残っている。

写真

神社正面、鳥居は新しいが灯籠等は江戸時代のもの、昭和初期まではすぐ前が海だった。
神社正面、鳥居は新しいが灯籠等は江戸時代のもの、昭和初期まではすぐ前が海だった。
神社正面から右側(東)を望む、国道2号線かつての阪神国道の大阪方面。
神社正面から右側(東)を望む、国道2号線かつての阪神国道の大阪方面。
正面はHAT神戸あたり。
正面はHAT神戸あたり。
神社正面から左側(西)を望む、国道2号線かつての阪神国道の三宮方面。
神社正面から左側(西)を望む、国道2号線かつての阪神国道の三宮方面。
社標には縣社とある、その前の石柱は書体が珍しい、灯籠は江戸時代寛政年間のもの。
社標には縣社とある、その前の石柱は書体が珍しい、灯籠は江戸時代寛政年間のもの。
神社謹製の由緒書、なかなか興味深い。
神社謹製の由緒書、なかなか興味深い。
鳥居をくぐると広場だが月極の駐車場になっている。
鳥居をくぐると広場だが月極の駐車場になっている。
広場の東側を望む。
広場の東側を望む。
広場の西側には社務所と授与所がある、参拝用の駐車場は赤いコーンの2枠が用意されている。
広場の西側には社務所と授与所がある、参拝用の駐車場は赤いコーンの2枠が用意されている。
短い階段を上がると拝殿が見えてくる。
短い階段を上がると拝殿が見えてくる。
右手に手水舎。
右手に手水舎。
左手に倉庫、その右に昔の写真があり解説がある。
左手に倉庫、その右に昔の写真があり解説がある。
この地は岬になっていて港があり賑わっていたようだ。
この地は岬になっていて港があり賑わっていたようだ。
手水舎は大きく井戸併設タイプ。
手水舎は大きく井戸併設タイプ。
拝殿は非常にきれい、戦中に空襲で焼け再建なったが阪神大震災で壊れたので解体復元されたとある。
拝殿は非常にきれい、戦中に空襲で焼け再建なったが阪神大震災で壊れたので解体復元されたとある。
拝殿から本殿を望む。
拝殿から本殿を望む。
拝殿を左手から望む、残念ながら本殿はほとんど見えない。
拝殿を左手から望む、残念ながら本殿はほとんど見えない。
絵と写真付きの昔の様子、大正時代まではすぐ前が海だったことが分かる。
絵と写真付きの昔の様子、大正時代まではすぐ前が海だったことが分かる。
絵と写真付きの昔の様子、昭和の初めまでは美しい砂浜で須磨か敏馬かと言われていたとある。
絵と写真付きの昔の様子、昭和の初めまでは美しい砂浜で須磨か敏馬かと言われていたとある。
拝殿より鳥居を望む。
拝殿より鳥居を望む。

感想

神社のすぐ前が海だったというお話しを見て、町の様子が変化するとその地にある神社も変わるのだなと感じた。
当初は美奴売の神様を祀ったとあり女神だろうと思われるが、いつの時代か御祭神が変化したようだ。
社域はよく手入れされていて社殿も非常にきれいで気持ち良く参拝できる。
江戸時代から昭和のはじめへの周囲地域の変遷の解説があり参考になる。
ひとりで参拝する女性が多かったのが印象的だ(巷ではご利益があるということになっている)。

注意点

参拝用の駐車スペースが2枠あるので赤色コーンの場所に停めること。

訪問ノート

訪問日:2021/3/20
交通手段:徒歩で訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

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