比定社:椋橋神社
式内社コード:277-070
神名帳社名 :椋橋神社、クラハシノ
社 格 :小
所 在 地 :669-6559 兵庫県美方郡香美町香住区小原827-1
Plus Code :HJX5+X2 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「くらはしじんじゃ」と読む、地名の小原は「こばら」と読む。
小原集落の西の端の山裾に鎮座。
兵庫県道4号香住村岡線に遍照寺への案内看板があるので西へ入り小原集落へ向かう。
集落の中を350メートルほど一番奥まで行くと遍照寺があるのですぐに分かる。
ありがたいことに遍照寺の駐車場に駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
椋橋神社と遍照寺の関係。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
椋橋神社縁起(くらはし)
祭神 伊香色雄命(いかがしこおのみこと)(神饒日六世(にぎはやひのみこと)の孫)
社格 式内神社(延喜式神名帳に列す)
例祭 古来十月九日であったが、現在は同月の第二日曜に行われている。
伝説によると、伊香色雄命という神様が鮭に乗って矢田川を遡り、小原村で降りた。そして宮谷口にやって来て、ここが私の居るところだ鎮座し、木原大明神(きはらだいみょうじん)と唱えた。神様の乗った鮭は矢田川を遡って七味郡山田村(現在の香美町村岡区山田)に着き、鮭大明神となって信仰された。
国司文書によれば、「人皇四十代天武天皇白鳳二年(662年)八月、椋橋部連小柄(くらはしべむらじおから)が美含郡司となって府を長井郷においた。同十三年秋同氏がその祖、伊香色雄命を小原丘に祀り氏神と為す。」とある。これが、当社の設立である。なお、椋橋部連小柄は伊香色雄命十六世の孫である。
(「兵庫県神社誌」「香住地誌」)
とある。
神社謹製の伊香色雄命説明書によると
古事記・日本書紀に記されている男神で、物部氏の祖とされる饒速日尊(素戔嗚尊の子)六世の孫。
第十代崇神天皇の御代に疫病が大流行し、多くの民人が死んだ。天皇が大いに愁い、神祇を祀ったところ、疫病は治まり天下は太平になったとある。その神々の中の一柱の神である。
なお、伊香色雄命を祭神として祀られている神社は、他に辛国神社(大阪府藤井寺市)。伊加加志神社(徳島県吉野川市)、伊加奈志神社(愛媛県今治市)等がある。
椋橋神社について、同じ名前を持つ椋橋総社(神社)が大阪府豊中市庄本町にあり、毎年盛大に例祭が行われている。祭神は素戔嗚尊で鯉に乗って神崎川を遡り当地に鎮座した。その鯉はそこで力尽き現在鯉塚として祀られているという本神社と同様の伝説が残っている。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、伊香色雄命。
白鳳13年(684年)創祀。
天平宝字5年(761年)宮を建て椋橋神社と号した。
寛正4年(1463年)秋焼失(修正)。
宝暦年間(1751~1764年)造営。
明治6年(1873年)村社。
昭和15年(1940年)社殿修復。
江戸時代までは「木原大明神」と呼ばれていた。
祭神の子孫である椋椅部連小柄が天武天皇白鳳13年(684年)7月に祖伊香色乎命を鎮座地に祀る。
社伝によると、太古、祭神伊香色乎命は鮭に命じて、日本海より矢田川遡って調べさせ、当地を「吾宮居すべき地なり」と鎮座し給うという。
椋橋神社と椋橋山遍照寺は相接し、椋橋神社の参道は遍照寺の境内である。椋橋神社と遍照寺の関係は深く、遍照寺は椋橋神社の神宮寺である可能性が強い。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:伊香色手命(イカシコテノミコト)
伝え云う太古、伊香色手命鮭に召して海湾より矢田川に入り河流を逆る事里余、小原村字谷口に留り給い吾宮居すべき地なりとて鎮座し給う。又一に当社を大原大明神と唱え彼の祭神名の召されたる鮭は同川を逆りて七味郡山田村に至り鮭大明神と仰がれ給う。之より後祭神の子孫たる椋椅部連小柄天武天皇白鳳13年7月其の祖伊香色手命を鎮座地について祀る。是当社の創立なり。
延喜式の制小社に列す。醍醐天皇延長5年(927)12月官社に列し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。
とある。
椋橋神社のある当地は、矢田川流域の谷筋に位置する。
矢田川というのは、なんと鳥取県との県境にある氷ノ山あたりを源流とする非常に長い川(直線でも30kmほど)。
その途中には鉢伏や村岡方面からの湯舟川と合流があり当地を経由して香住で日本海に流れ込んでいる。
鮭に乗って矢田川を遡り、というお話の通り古代からこの地域の水運に重要な役割を果たしたと思われる。
椋橋神社のご祭神は、伊香色雄命。
興味深いことに、神様が鮭に乗られてというお話は他でもあり、大川神社(舞鶴市大川)などがある。
(論)楯縫神社(斎神社摂社:養父市長野)にも、養父大明神が鮭の背にのって川を遡り斎明神に円山川の浚渫をお願いに行ったというお話が伝わっている。
古代にはそんな大きな鮭がいたのだろうか、と真面目に考えていると楽しい。
椋橋神社の創建は、美含郡司である椋橋部連小柄が祖神である伊香色雄命を祀ったのが始まりのようだ。
ちなみにお話に出てくる山田は当地より南へ進み、兵庫県道4号香住村岡線から兵庫県道258号山田日高線に入り南下したところにある(鮭大明神、距離にして6.6kmほど)。
椋橋神社は、遍照寺(へんしょうじ)と一体になっており、見るからに関係が深いことが分かる。
遍照寺の創建は、遍照寺のWebサイトによると
”天平年間、行基菩薩によって開創され、天平宝字4年に洛陽椋橋山住僧法爾和上来臨され宝殿を築いて中興する。”
とある。
※天平年間:729~749年
※天平宝字4年:760年
椋橋神社の創建は、白鳳13年(684年)とあるので、記録上は椋橋神社が先に創建されたと考えられる。
神社と寺の関係は古くより深いものがあり、以下の2パターンが知られている。
・重要な神社のために寺院が創建された(神宮寺)
・重要な寺院のために神社が創建された(鎮守社)
椋橋神社と遍照寺の関係は、記録を見る限り神宮寺だったのではないかと思われる。
こうした関係が現在まで残っているのが貴重だと思う。
椋橋神社へのアプローチは分かりやすい。
小原集落の西の端の山裾に鎮座。
兵庫県道4号香住村岡線に遍照寺への案内看板があるので西へ入り小原集落へ向かう。
集落の中を350メートルほど一番奥まで行くと遍照寺があるのですぐに分かる。
ありがたいことに遍照寺の駐車場に駐車可能。
遍照寺の奥(北)に鳥居と社標がある。
椋橋神社と遍照寺は鳥居があり入り口が分かれてはいるが、中へ入るとつながっており一体となっている。
参道を進むと両側にお堂・観音堂・大師堂(中井権次橘正次の彫り物あり)があり、一番奥に社殿がある。
社殿の周囲は古木も多く濃い社叢となっている。
社殿の右手には八幡社、左手には御神輿蔵、社殿手前に由緒書も設置され詳しいので参考になる。
社殿は覆屋に入った本殿のみのシンプルな形となっていて扁額には椋橋宮とある。
本殿は大きくはないが組物彫り物が施され状態も良いようだ、宝暦年間(1751~1764年)の建築とある。
本殿の光背の上には鬼が乗っており珍しい。
遍照寺と一体になった椋橋神社の社域は手入れが行き届き気持ちよく参拝できる。
鮭に乗った神様伝説の残る神宮寺と共に現代まで残る神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2021/8/12
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。